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京都・清水坂から祇園まで4店まとめ|28年、同じ道しか歩いていない研究員の2日間【2025年4月】

伊丹空港のカウンターに置かれた黄桜「京都麦酒 ゴールドエール」の缶

大阪・関西万博に行くための旅行だった。京都は、そのついでだった。

結果として、この2日間から生まれた研究報告は4本ある。すべて京都のものである。万博の記事は、1本もない。

伊丹空港の展望デッキで手に持った551蓬莱の豚まん
2025年4月20日10時13分、大阪国際空港の展望デッキ。ここから約50時間の旅が始まった。
目次

「ここがいちばん」という名前の店から始まった

2025年4月20日、10時13分。大阪国際空港の展望デッキで、私は551の豚まんを持っている。1個だけ買って、飛行機の見えるデッキで食べた。

551蓬莱のルーツは1945年、台湾出身の羅邦強が大阪・難波に開いた「蓬莱食堂」である。当初はカレーライスの店だった。豚まんの店頭実演販売が始まるのは1952年のことだ。

そして「551」という数字には、由来がある。当時の本店の電話番号が64-551番だったことに、外国産のたばこ「555」からの着想が重なった。込められた意味は「味もサービスも、ここがいちばん」である。

いま思えば、この旅はずいぶん出来すぎた始まり方をしている。

「ここがいちばん」という名前の店の豚まんを持って、私はこれから2日間かけて、いちばんは自分では決められないということを、何度も思い知らされに行くのだ。

もっとも、この時点ではそんなことは考えていない。考えていたのは万博のことだけだった。この日、私は31,611歩を歩いている。

2日と2時間21分の行程

この旅の始まりと終わりは、写真の記録で正確に分かっている。始点は4月20日10時13分25秒、終点は4月22日12時35分13秒。2日と2時間21分48秒。約50時間22分である。

そして始点と終点は、同じ空港の同じ建物だった。

日時場所・出来事
4/20 10:13伊丹空港の展望デッキで551の豚まん
4/20 終日大阪・関西万博。31,611歩
4/21京都へ移動。祇園→八坂神社→二寧坂→産寧坂→清水坂→折り返して祇園。20,000歩超
4/21 12:14–12:40元祖八ッ橋 西尾為忠商店 清水店
4/21 13:07–13:50ルーフトップバーK36
4/21 14:12–14:47スターバックス 京都二寧坂ヤサカ茶屋店
4/21 17:24–17:34祇園いづうで持ち帰りを購入
4/21 17:45–ホテルの部屋で開封
4/22 06:19–08:37京都市内を11.99km歩く(後述)。この日23,571歩
4/22 09:42–09:49元祖八ッ橋(二日つづけて/7分
4/22 12:35伊丹空港で京都麦酒

三日で七万五千歩を超えている。ちなみに私は歩くことが好きで、2026年2月1日には奄美よーりよーりらん50kmを完走している。それでもこの三日はよく歩いたほうだった。

この4軒は、全部歩いて回れる

先に実用的なことを書いておく。この4軒は、すべて徒歩で回れる範囲に固まっている。

場所何の店か訪問
元祖八ッ橋 西尾為忠商店 清水店東山区清水八ッ橋(生・持ち帰り)4/21・4/22
ルーフトップバーK36東山区清水二丁目ホテル屋上のバー4/21 13:07
スターバックス 京都二寧坂ヤサカ茶屋店東山区桝屋町カフェ(日本家屋・畳の間)4/21 14:12
祇園いづう東山区八坂新地清本町鯖姿寿司(持ち帰り)4/21 17:24

八ッ橋の店とK36は、同じ清水二丁目にある。写真の時刻で見ると、八ッ橋を食べ終えてからK36の席に着くまで27分、K36を出てスタバの店内に入るまで22分しかかかっていない。

つまりこの日の午後は、坂を上って、下りて、また少し上がって、最後に祇園まで下りただけである。地図の上ではほとんど動いていない。それで八ッ橋・バー・カフェ・寿司の4軒が埋まる。京都の東山は、そういう密度をしている。

組み立てとして使えるなら、こういう順番になる。午前に清水坂で買い物、昼過ぎに屋上で一杯、午後に坂の途中で座って休む、夕方に祇園で持ち帰りを買って宿に戻る。歩き疲れる日の後半を、屋内と宿に寄せておくのがコツだった。実際この日、私は宿に戻る時点で20,000歩を超えていた。

4本の研究報告

京都の2日間で書いた報告は4本ある。順番に並べると、1本の線になっていることに、書き終えてから気づいた。

1.元祖八ッ橋 西尾為忠商店 清水店——私は、同じ場所しか行かない

朝の元祖八ッ橋 西尾為忠商店 清水店。「元祖 八ッ橋」の暖簾が掛かり、店先に人がいない
帰る日の朝、9時49分の清水坂。前日の昼は前に進むのも大変だった。

1997年の夏、私はこし餡の八ッ橋を探して京都中を歩いた。そして「三千世界探しても無いわ」と言われた。八ッ橋の生地に包まれているのはつぶ餡である、という当たり前を、当時の私は知らなかったのだ。

それでも清水坂で、こし餡は見つかった。以来28年、通算10回。京都に来るたび、私はこの店に寄っている。

今回も4月21日と22日、二日つづけて行った。しかも二日目は、前日に買ったものがカチカチになっていたからである。

元祖八ッ橋 西尾為忠商店 清水店|「三千世界探しても無いわ」と言われた1997年から、28年通っている

2.ルーフトップバーK36——場所のほうが、動く

K36 Rooftop 屋上から見た八坂の塔と京都市街
13時07分、屋上から見た八坂の塔。この建物は昭和8年築の元・小学校である。

八ッ橋を食べ終えて、坂を少し戻り、エレベーターで屋上へ上がった。13時07分である。

このバーが入っているザ・ホテル青龍 京都清水は、昭和8年築の元・京都市立清水小学校だ。2011年に閉校し、2020年3月にホテルとして開業している。

つまり、1997年に私がこの坂を歩きはじめた時点では、ここはまだ現役の小学校だった。私は28年間、同じ道しか歩いていない。それでも建物のほうは、勝手に役割を変えていた。

八坂の塔を正面に、ジントニックとエスプレッソマティーニを飲んだ。1997年の自分に飲ませてやりたい景色だった。

ルーフトップバーK36|元・小学校の屋上で、八坂の塔を正面に呑む

3.スターバックス 京都二寧坂ヤサカ茶屋店——動いたことに、自分では気づけない

畳の間の床の間。掛け軸と一輪挿しと、盆の上のカップ
14時29分の畳の間。28年この坂を歩いていて、一度も入っていなかった。

屋上を出て、二寧坂を下る。14時12分。

この店は、私が見つけた店ではない。人に教えられて、はじめて入った。2017年6月30日に開店しているのに、28年この坂を歩いていた私は、一度も入っていなかったのである。

暖簾が掛かっていて、看板が小さい。行列は店の外に出さない設計になっている。二階の畳の間に上がると、窓の下に瓦屋根が続いていた。カップを撮った時刻は14時29分。「14時30分ごろ」という私の記憶と、ほぼ一致していた。

覚えていることと、覚えていないことがある。K36の建物が小学校だったかどうかを私は覚えていない。この日の14時30分のことは覚えている。その差に理由は見当たらない。

スターバックス 京都二寧坂ヤサカ茶屋店|28年歩いた坂で、一度も入っていなかった店

4.祇園いづう——一番は、自分では決められない

奥に鯖姿寿司、手前に甘鯛が並んだ二貫
買いに行ったのは奥の鯖だった。持っていったのは手前である。

祇園まで戻ってきたのが夕方だった。前日に31,611歩、この日すでに20,000歩。もう一歩も歩きたくなかった。部屋で寿司をつまんで一杯やって寝よう、と思った。部屋で飲むために、外に出たわけである。

天明元年創業のいづうで、鯖姿寿司を買うつもりだった。店にいたのは、写真の記録では17時24分から17時34分までの約10分。その10分のあいだに、話は「四種類を詰めてもらう」に変わっていた。

そして部屋で開けてみると、本命だったはずの鯖ではなく、甘鯛に持っていかれた。白身なのにふわふわで、味の濃い焼穴子の印象まで後ろに下げてしまった。

私は鯖を買いに行ったのである。一番になるものを、こちらが指名することはできなかった。

祇園いづう|鯖を買いに行って、甘鯛に持っていかれた

4本を並べて、見えたこと

書いているときは、それぞれ別のことを書いているつもりだった。並べてみると、同じことを4回書いている。

私は同じ場所しか行かない。(八ッ橋)
それでも、場所のほうが動く。(K36)
動いたことに、自分では気づけない。(スターバックス)
一番になるものを、自分では決められない。(いづう)

要するに、自分のことは、自分がいちばん分かっているわけではない

28年通っていれば、その道のことは分かっていると思っていた。分かっていなかった。小学校はホテルになり、坂の途中には知らない店ができ、買いに行った本命は主役の座を明け渡した。28年通ったことで得られたのは、知識ではなく、自分の見落としの多さを測るものさしのほうだった。

同じ場所に通い続けるというのは、そういう作業なのだと思う。

最終日の朝、12キロ歩いて、一軒も寄っていない

証拠がひとつある。

帰る日の4月22日、朝6時19分から8時37分まで、私は京都市内を歩いている。11.99km、2時間18分02秒。上った高さは153m、平均ペースは1kmあたり11分31秒。記録は全部残っている。

歩いたのは、この4軒がある東山の坂ではない。祇園のあたりを出て東へ向かい、岡崎から北へ上がって銀閣寺の方まで行き、また下りてくる周回だった。前日まで歩いていた清水坂とは、ほとんど重なっていない。

この2時間18分から、記事は一本も生まれていない。

そのかわり、歩き終えて1時間後の9時42分、私はいつもの清水坂の八ッ橋屋にいる。滞在時間は7分。買うだけである。そしてその7分のほうが、記事になった。

この日、私は最終的に23,571歩歩いている。帰る日である。それでも記事になったのは、そのうちの7分だけだった。

12キロの新しい道からは何も出ず、7分の同じ道から1本出る。この旅で私が学んだことは、たぶんこれに尽きる。歩いた距離と、残るものの量は、関係がない。

京都で最初に造られたビールで、終わる

伊丹空港のカウンターに置かれた黄桜「京都麦酒 ゴールドエール」の缶
4月22日12時35分、伊丹空港。プルタブはまだ起きていない。

4月22日12時35分。伊丹空港の土産物店で買った緑の缶が、カウンターに置いてある。

黄桜の「京都麦酒 ゴールドエール」である。1995年に生まれた、京都で初めての地ビールだ。造っているのは伏見の酒蔵で、仕込みには名水「伏水」と、清酒酵母が使われている。缶にも英語で "This is Kyoto's first craft beer. Using sake yeast." と書いてある。ビールなのに、吟醸酒の香りがほのかに立つ理由がそこにある。

写真の缶は、まだ開いていない。プルタブが起きていないのが写っている。飲む前の一枚である。

行きは大阪のものを食べ、帰りは京都のものを飲んだ。同じ空港の、同じ建物で。

メインだったはずのものが、一行も残らなかった

この旅のメインは万博だった。そのために飛行機に乗り、31,611歩を歩いた。京都は、そのついでに寄る場所だった。

そして当研究所に残ったのは、京都の4本である。万博の31,611歩からも、最終日の23,571歩からも、記事は一本も出ていない。残ったのは全部、東山の同じ坂の上下1キロほどの範囲だった。

いづうの甘鯛と、まったく同じことが起きている。本命として買ったものではないほうが、あとから主役になった。それが一貫の寿司ではなく、旅行そのもののスケールで起きただけの話だ。

何がいちばんだったかは、行く前には分からない。帰ってきて、しばらくしてから決まる。しかも決めるのは、たぶん自分ではない。

「ここがいちばん」という名前の店から始まった旅にしては、ずいぶん都合のいい結論になった。

研究員の結論

また行くか:行く。次の京都も、たぶん同じ道を歩く。

新しい店を開拓しようとは思っていない。28年同じ道を歩いてきて、それでも毎回、知らなかったことが出てくるからだ。開拓しなくても、道のほうが更新されている。

宿題も残った。二寧坂のスターバックスは教えられてやっと入った。いづうの姿寿司は、時間を置くほど昆布のうま味が移るのだという。私は買って11分後に開けてしまった。次は少し置いてから食べてみる。

それから万博には、もう行けない。あれは2025年にしかなかったものだ。記事にならなかったほうが、一度きりだったことになる。

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※記事中の飲食物・店内の様子はいずれも筆者が実際に訪問して見聞きしたものです。訪問は2025年4月20日から22日で、本記事の公開時点から1年3か月前にあたります。価格は掲載していません。

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