最終更新:2026年7月31日|直近の観測は2025年4月22日です。観測ログを見る
1997年の夏、私は京都中の八ッ橋屋を回って、こし餡の八ッ橋を探していた。
大学三年生だった。日本史が好きで、京都が好きだった。なぜ京都が好きなのかは、今でもうまく説明できない。ただ、行くと落ち着くのだ。
その一方で、八ッ橋は苦手だった。あのニッキの香りが受けつけなかった。だから八ッ橋そのものに興味はなかった。
ではなぜ探していたのかというと、あんこはこし餡派だったからである。これも理由はわからない。物心ついたときからそうだった。土産物屋の前を通るたびに、こし餡なら食べられるかもしれない、と思っていた。
そして、何も知らないまま探し歩いた結果、こういう事実にぶつかった。
八ッ橋はつぶ餡である、という事実を私は知らなかった
一軒もなかったのだ。
三条から四条、新京極、清水坂。目についた八ッ橋の店に片っ端から入って、こし餡はありますかと聞いた。ない。次の店。ない。また次。ない。
八ッ橋はつぶ餡なのである。
これを教えてくれたのは、ある店の、七十歳くらいのお母さんだった。こし餡はありますかと聞いた私に、その人はこう言った。
「三千世界探しても無いわ」
三千世界、である。仏教の言葉で、全宇宙という意味だ。それを土産物屋の店先で、目の前の関東の学生に向かって使う。叱られたわけではない。むしろ、なぜこの子はそんなことを聞くのだろう、という顔で、ていねいに説いてくださった。
29年経って、京都で言われた言葉のうち、いちばん正確に覚えているのがこれである。
これを知っている人は、普通なのだろうか。それとも私が関東の人間だから知らなかっただけなのだろうか。29年経った今でも、その答えを持っていない。京都の人にとっては当たり前すぎて話題にもならないのかもしれないし、関東でも和菓子に詳しい人なら知っていたのかもしれない。
ただ、当時の私は本気で驚いた。「あんこ」と書いてあれば、こし餡もつぶ餡もあるのが当然だと思っていたからだ。選択肢がそもそも存在しない、という状況に出会ったことがなかった。
いま思えば、これが私にとっての最初の「京都は違う」だった。
清水坂で、「おかえりやす」と言われた
そして、清水坂で出会った。

元祖八ッ橋 八ッ橋屋 西尾為忠商店 清水店という。清水寺へ上がっていく参道の途中、白い縦看板に「元祖 八ッ橋」と大きく出ている店である。
入ったとき、店主のお父さんが「おかえりやす」と言った。
初めて入る店である。おかえりやす、である。私は関東の人間なので、この挨拶をどう受け取ればいいのかわからなかった。京都では初めての客にもそう言うのだと知ったのは、もっとあとのことだ。
そしてお父さんは、お茶を出してくれた。買うとも言っていない、まだ何も注文していない私にである。

最初は、この店にこし餡があるとはわからなかった。ほかの店と同じだろうと思っていた。それでも一応、聞いてみた。こし餡はありますか、と。
あった。
京都中を歩いてまわって、最後の最後に、あった。私はその場でこし餡の八ッ橋を買った。
念のため書き添えておくと、今でこそこし餡の八ッ橋はどこにでもある。当時の話である。
驚いたことが、二つあった
こし餡があったこと自体が驚きだったが、そのあとにもう二つ、驚くことがあった。
ひとつは、餡子と抹茶餡が選べたこと。こし餡すら探しても見つからなかった人間の前に、選択肢が二つ出てきたのである。
もうひとつは、その場で包んでいることだった。

あらかじめ箱に詰められたものを渡されるのだと思っていた。そうではなかった。注文を受けてから、目の前で一つずつ包んでいくのである。だから薄い皮ごしに、中の餡が透けて見える。
生八ッ橋というものが、土産物ではなく生菓子であると理解したのは、このときだった。
二日後、八ッ橋はカチカチになっていた
そして、私は最初の失敗をする。
八ッ橋は土産物なのだから、持って帰ってもやわらかいままだと思い込んでいた。そうではなかった。
この店の八ッ橋は保存料も着色料も人工甘味料も使っていない。だから日持ちしない。二日後に持って帰ったときには、もうカチカチになっていた。
さらに悪いことに、その次の日に友人に渡した分は、もう食べられないレベルで固かった。私は、京都まで行って買ってきた土産として、それを人に手渡していたのである。
保存料不使用の八ッ橋は日持ちしない。 これを知っている人は、そんなに多くないのではないかと思う。土産物というのは日持ちするものだ、という前提を、私たちは疑わない。
そして、この失敗が、その後28年の私の京都の歩き方を決めることになる。
だから私は、京都に行くと毎日同じ道を歩く
その後、何度も京都に行った。行くたびに、二寧坂、産寧坂、清水坂を歩く。
理由はこうである。
八ッ橋は決まった店で買うと決めている。この店以外では買わない。そして日持ちしないから、帰る日に買って帰る。これが鉄則になった。
ところが、京都に到着した日にも、その八ッ橋を食べたいのである。二日か三日、我慢できない。だから着いた日にも清水坂に行く。
結果、どうなるか。京都に行くと、私は毎日同じルートを歩くことになる。
新しい寺を開拓することもなく、行ったことのない通りに入ることもなく、同じ坂を上って、同じ店に寄る。京都には数えきれないほど見るべきものがあるのに、私はそれをしない。
それでも満足している。

(ちなみにこの黒いソフトクリームは西尾為忠商店のものではなく、清水坂にある別の店「京都祇園生八ッ橋 京ごま 京あざみ」の黒ごまソフトクリーム 八ッ橋添えである。八ッ橋が一枚刺さっている。同じ道を毎日歩いていると、こういう寄り道が増える)
観測ログ
この店には、1997年から通算10回通っている。すべてを覚えているわけではないので、記憶がはっきりしている回だけを記録する。
1997年(1回目)|写真は、一枚も残っていない
こし餡を探して京都中を歩き、この店で見つけた回である。「おかえりやす」とお茶と、その場で包まれる八ッ橋。そして持ち帰って固くした失敗。
写真は一枚もない。
撮り忘れたのではない。そもそも撮る手段がなかった。カメラ付きの携帯電話が世に出るのは2000年11月で、1997年にはまだ存在しない。当時の私はカメラを持ち歩く学生ではなかった。
だから、この回について書けるのは記憶だけである。味については書かない。29年前に食べたものの味を、いま正確に書き起こせるとは思っていないからだ。覚えているのは、探し当てたときの気持ちのほうである。
2000年代の何度か|撮ったのに、消えた
その後、何度か通った。回数と年をはっきり特定できないので、正直に「何度か」と書く。
この時期は携帯電話で写真が撮れるようになっていた。だから撮っている。撮ったはずなのだ。
それが、残っていない。
当時の携帯は画質も上がり、テレビまで見られるようになったのに、データの保存が弱かった。そして機種変更のたびに、データの移行がうまくいかなかった。そうやって少しずつ消えていった。
このことが、今でも悔しい。
保存料を使わない八ッ橋が二日で固くなるのと同じように、あの頃の写真も残らなかった。残らないものは、残らない。
2025年4月21日|到着した日の昼、12時14分
京都に着いた日である。荷物を置いて、まっすぐ清水坂に向かった。店に入ったのが12時14分、出たのが12時40分。26分いた。
竹のざるに試食が載って出てくる。緑色のものは抹茶である。薄い皮ごしに、中の餡が透けている。
外は快晴で、清水坂は人で埋まっていた。着物姿の人、海外からの観光客、修学旅行生。1997年の清水坂もそれなりに混んでいたが、このときの混み方はまた別種のものだった。
この日はこのあと、ルーフトップバーK36へ上がり、二寧坂のスターバックスに寄り、夕方には祇園まで下りていづうで押し寿司を買っている。いつもの道である。八ッ橋を食べ終えた27分後には、同じ清水二丁目にあるホテルの屋上で、ジントニックを前にしていた。
この2日間で入った4軒は、1本にまとめてある。行程と時刻、4軒の位置関係、そして4本を並べてはじめて見えたことは、こちらに書いた。
→ 京都・清水坂から祇園まで4店まとめ|28年、同じ道しか歩いていない研究員の2日間【2025年4月】
2025年4月22日|帰る日の朝、7分だけ
翌朝、9時42分に同じ店にいた。そして9時49分には出ている。滞在7分。

前日の昼と同じ場所である。同じ暖簾、同じ看板。人がいない。
昨日は前に進むのも大変だった坂に、朝は誰も歩いていない。28年通っていて、この時間の清水坂を知っているのは、帰る日の朝に必ず買いに来るからである。
買ったのは三種類。こしあん、抹茶あん、そして栗の入ったものである。1997年にこし餡を探して京都中を歩いた人間が、28年後には三種類まとめて買って帰っている。
(餡の名称は私の記憶によるもので、店頭の表示と異なる可能性がある。品揃えは時期によって変わるので、購入時にご確認いただきたい)

そして、この朝の写真に、思いがけないものが写っていた。
「湯呑返却口」という貼り紙である。
1997年に、お父さんが私に出してくれたお茶。あれは、その日その人の気まぐれではなかった。28年後の今も、店の仕組みとして続いているのだ。壁には古い賞状と、モノクロの集合写真が並んでいる。

ニッキが苦手だった私が、なぜ28年通っているのか
ここまで書いてきて、一つ説明していないことがある。
私は八ッ橋のニッキが苦手だった。 それなのに、なぜ28年も通っているのか。
理由は二つあると思っている。
ひとつは、この店の八ッ橋は、ニッキの香りが控えめに感じることだ。保存料や添加物を使っていないことと関係があるのかどうかは、私にはわからない。専門的なことは知らないので、断定はしない。ただ、私の鼻にはそう感じられる、というだけの話である。
もうひとつは、単純に、慣れたのだと思う。そして好きになった。
苦手だったものが好きになる、というのは、たいてい何度も接するうちに起こる。私の場合、こし餡を探してこの店にたどり着いたことが入口だった。ニッキを目当てに通い始めたわけではないのに、28年経って、いちばん楽しみにしているのはこの八ッ橋である。
先代は、もう店頭にいなかった
2025年4月、店に入って気づいた。
あの「おかえりやす」のお父さんが、店頭にいない。
代わりに、次の店主さんが立っていた。
私は、1997年の話をした。こし餡を探して京都中を歩いたこと、この店で見つけたこと、お茶を出してもらったこと。28年前の、たぶん向こうには何の記憶もない客の話である。
先代は、そのときはご存命だと伺った。ただ、もう店には出ていらっしゃらないとのことだった。
それを聞いて、私は自分がずいぶん長く通っていたのだと、あらためて思った。10回という回数はたいしたことがないように見えるが、28年である。その間に、店に立つ人が代わるだけの時間が流れていた。
それでも、お茶は出続けている。湯呑を返す場所が、今も店の中にある。
私が最初にこの店を「いい店だ」と思った理由は、こし餡があったことではなかったのかもしれない。買うと決めてもいない学生に、黙ってお茶を出したことのほうだったのだと思う。そして、それは人が代わっても残っていた。
研究員の結論
また行くか:行く。次に京都に行く日も、着いた日と帰る日に、この坂を上る。
京都には見るべきものが無数にある。それを承知のうえで、私は同じ道を歩く。効率は悪いし、観光としては褒められたものではない。
ただ、同じ場所に28年通わないと見えないものが、たしかにある。昼の混雑と朝の無人。店に立つ人が代わったこと。そして、代わっても残っている湯呑返却口の貼り紙。
一度行っただけでは、これは全部見えない。
八ッ橋が苦手だった人間が、八ッ橋のために毎年同じ坂を上っている。
最後に、ひとつだけ書いておく。
この八ッ橋は、土産としてはうまく成立しない。 硬くなるからである。渡す相手に「早めに食べてください」と念を押さないといけないし、渡すまでに一日空いたら、もう賭けになる。1997年の私は、それで失敗した。
それなのに——いや、それだからこそかもしれないが、私が人生の最後に食べたい甘味は、この店の八ッ橋である。しかも、現地で。
持ち帰れないものだから、行くしかない。行った日に食べるしかない。28年かけて毎日同じ道を歩くようになった理由は、結局そこに尽きる。
この報告は、たぶんこれからも更新され続ける。
店舗情報
| 店名 | 元祖八ッ橋 八ッ橋屋 西尾為忠商店 清水店 |
| 住所 | 京都市東山区清水2-232 |
| アクセス | 清水寺参道(清水坂)沿い。京阪「清水五条」駅、市バス「五条坂」バス停などから徒歩 |
| 特徴 | 保存料・着色料・人工甘味料不使用。注文を受けてから店頭で包む生八ッ橋。餡は複数種あり |
| 日持ち | 生八ッ橋のため短い(季節により異なる)。購入時に必ず確認を |
※営業時間・定休日はこの記事では記載しません。公表値は変わることがあるので、行く前に必ず店舗にご確認ください。
※上記は2026年7月時点で公開情報をもとに確認したものです。商品構成は変わることがあります。訪問前に必ず最新の情報をご確認ください。
※記事中の商品・店内の様子はいずれも筆者が実際に訪問して見聞きしたものです。直近の訪問は2025年4月21日・22日で、本記事の公開時点から1年3か月前にあたります。