綺麗な水には、良い蕎麦屋がある。
これは私が経験から思っていることで、証明できる話ではない。ただ、この夏に書いてきた記事を並べていて、自分でも少し驚いた。
栃木県佐野市。出流原弁天池湧水という名水百選の湧き水がある街で、澄んだスープのラーメンを食べた。
栃木県足利市。渡良瀬山系の伏流水に恵まれ、古くから「そばの街」と呼ばれてきた土地で、在来種の蕎麦を食べた。
そして、地元にもある。

秦野も、名水百選の街だった
神奈川県秦野市。
秦野盆地湧水群が、1985年に名水百選に選ばれている。
秦野盆地は、丹沢山地と大磯(渋沢)丘陵に囲まれた、神奈川県で唯一の盆地である。そして地下が「天然の水がめ」のような構造になっていて、およそ7億5000万トンの地下水を蓄えているという。
市の水道水の、約7割が地下水である。
さらに——2016年、ボトル水「おいしい秦野の水〜丹沢の雫〜」が、名水百選選抜総選挙の「おいしさが素晴らしい名水部門」で第1位になっている。
百選に選ばれたうえで、その中でもおいしいほうの1位である。
市内には弘法の清水や春嶽湧水といった湧き水があり、汲みに行ける場所もある。
秦野市の外れにある

手打ちそば 信玄。
秦野市の鶴巻南。市の中心部からは離れた、住宅街の中にある。鶴巻温泉駅から歩いて10分ほどの場所である。
木の看板に「信玄 手打そば」。板張りの外壁に、格子の引き戸。隣はシャッターが下りている。言われなければ通り過ぎる佇まいだ。
この写真は、別の日の朝に前を通ったときに撮ったものである。時刻は8時すぎ。当然、店は開いていない。
それでも撮っている。そういう店になっているということだと思う。
石臼挽き、自家製粉

箸袋にこう書いてある。
「石臼挽自家製粉 手打ちそば 信玄」
地元のそばの実を選び、石臼で挽いて、自分のところで粉にしている。店内には古い石臼や道具が置いてある。
そして、ここからが本題である。
蕎麦が4種類ある
信玄には、蕎麦が4種類ある。
- せいろ(丸抜き蕎麦・細打ち)——定番
- 田舎そば(中太打ち)
- 十割蕎麦
- 手挽き粗蕎麦

せいろ。丸抜きの細打ちで、白っぽい。竹のざるに乗って出てくる。いちばんするりと入る。

田舎そば。中太打ちで、色が濃い。噛む感じがはっきりある。

十割蕎麦。つなぎを使わない。太めで、そばの味が前に出てくる。

手挽き粗蕎麦。いちばん粗い。粒が見える。木の丸いせいろに乗って出てくる。
どれも好きである。
順位をつける気にならない。個性が違うのであって、上下ではない。その日の気分で選べばいいと思う。
毎回2種類頼んでいる
そして、私はこの店で毎回2種類頼む。
1種類では足りない、という意味ではない。1種類だと、比べられない。
写真の記録を並べてみたら、こうなっていた。
| 回 | 日付 | 1品目 | 2品目 | 間隔 |
|---|---|---|---|---|
| 1回目 | 2023年11月18日(土) | 手挽き粗蕎麦 | 十割蕎麦 | 約7分 |
| 2回目 | 2023年12月10日(日) | 田舎そば | せいろ(丸抜き細打ち) | 約6分 |
| 3回目 | 2026年3月23日(月) | 田舎そば | 十割蕎麦 | 約7分 |
本当に毎回2種類だった。
自分で言っておきながら、記録で確認すると少しおかしい。3回とも、6分から7分の間隔で2品目が来ている。1つ食べ終えて、それから次を頼む。そのリズムが時刻に残っている。
そして——3回で、4種類すべてを食べている。

もうひとつ、記録が教えてくれたことがある。
十割蕎麦を、3回のうち2回頼んでいる。
私は「特に十割蕎麦が好きだ」と思っていた。思っていただけではなく、実際にそう頼んでいた。

田舎そばも2回。この2つが、私の中の軸なのだと思う。
4種類あることの意味
蕎麦屋で種類を増やすのは、たぶん簡単ではない。
打ち分けなければならないからである。細打ちと中太打ちでは切り方が違う。十割はつなぎを使わないので切れやすく、扱いが難しい。手挽きの粗いものは、そもそも粉の作り方から違う。
1種類を完成させるほうが、店としては楽なはずだ。
それでも4種類ある。ということは、この店は「そばの正解は1つではない」と考えているのだと思う。
そして客の側も、それに乗ることができる。今日はするりと食べたい。今日は噛みたい。そういう選び方が許されている。
同じ店に何度も行ける理由は、たぶんここにある。1種類しかない店だと、2回目は「前と同じ」になる。4種類あれば、2回目も3回目も、まだ食べていないものがある。
本当は、日本酒を合わせたい
正直に書いておく。
この店で、私は日本酒を飲みたい。
蕎麦屋で日本酒を飲むのは、江戸時代からの楽しみ方である。石臼で挽いた蕎麦と、名水の街の水。合わないはずがない。
それでも飲んでいない。
車で来ているからである。呑み歩き研究所と名乗りながら、また酒の出てこない記事になった。
ただ、これは我慢というより選択だと思っている。飲めないと分かっていて来る店が、私にはいくつかある。この店もその一つだ。
いつか、飲める形で来られたらいい。
綺麗な水には、良い蕎麦屋がある
最初の話に戻る。
佐野。足利。秦野。
3つとも水の街で、3つとも良い蕎麦屋(あるいはラーメン屋)があった。名水百選に至っては、佐野と秦野で2つ揃っている。
もちろん、これは私が見た範囲の話である。水がきれいでも蕎麦屋のない街はあるだろうし、水を売りにしていない街に名店があることもある。
それでも、蕎麦は水で作る。
そば粉を水でつないで、水で茹でて、水で締める。つゆも水から作る。工程のほとんどに水が入っている。
だとしたら、水の良い土地に良い蕎麦屋が集まるのは、むしろ当たり前なのかもしれない。
研究員の結論
また行くか:行き続ける。
秦野市の外れにあって、住宅街の中にあって、通り過ぎてもおかしくない店である。それでも私は、朝8時に前を通っただけで写真を撮っている。
この店で私が持ち帰ったのは、選べることの豊かさだった。
4種類ある。どれも良い。だから毎回、選ぶという楽しみが発生する。そして2種類頼めば、その日のうちに比べられる。
1種類しかない店にも良さはある。でも、比べると自分の好みが言葉になる。これは苺でも、ラーメンでも、蕎麦でも同じだった。
向いているのは、蕎麦の違いを面白がれる人。そして車で来る人。
次も2種類頼む。たぶん、片方は十割だと思う。
店舗情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 店名 | 石臼挽自家製粉 手打ちそば 信玄 |
| 所在地 | 神奈川県秦野市鶴巻南(鶴巻温泉駅から徒歩10分ほど) |
| 蕎麦 | せいろ(丸抜き・細打ち)/田舎そば(中太打ち)/十割蕎麦/手挽き粗蕎麦 の4種類 |
| 特徴 | 石臼挽き・自家製粉の手打ち。店内に古い石臼や道具の展示あり |
| 訪問 | 食事3回(2023年11月18日・2023年12月10日・2026年3月23日)/外観のみ1回(2026年7月12日) |
| 酒 | 飲んでいません(車のため) |
※価格は掲載していません。筆者が控えておらず、記憶で書くと不正確になるためです。
※営業時間・定休日はこの記事では記載しません。公表値は変わることがあるので、行く前にご確認ください。
※蕎麦の種類は訪問時点のものです。
※秦野盆地湧水群に関する記述は、秦野市および環境省の公開情報によります。
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※記事中の飲食物・店内の様子はいずれも筆者が実際に訪問して見聞きしたものです。飲食代はすべて筆者が自分で支払っています。