私が食べてきた蕎麦の中で、別格で最上位に置いている店がある。
栃木県足利市のめん割烹 なか川である。
天ぷらも食べた。炊き込みご飯も食べた。それなのに、あとから出てくる感想が、蕎麦の話しかない。

つるつるしない
まず、食べた感じから書く。
つるつるした喉越しではない。
蕎麦というと、するすると喉を通っていくものだと思っている人が多いと思う。あれとは違う。
がっしりしている。味が強い。噛む。噛んでいるあいだ、蕎麦の味がずっとある。食べ応えがあって、「蕎麦を食べている」という感覚がはっきりある。
そして麺が短い。
長くつながっていない。箸で持ち上げると、途中で切れている。つなぎを使っていないからである。
店員さんに聞いた話
食べていて、これは何なのだろうと思った。それで、店員さんに聞いた。
返ってきた説明が、こうだった。
「日本古来の蕎麦は、いまの蕎麦とは違う」
いま私たちが食べている蕎麦は、品種改良を重ねてたどり着いたものである。そしてなか川の蕎麦は、品種改良される前の在来種なのだ、と。
その場では「へえ」で終わった。あとから調べて、この話の重さが分かった。
99.9%と、残り
なか川の公式サイトに、こう書いてある。
在来種の栽培は難しいため、現在栽培されている99.9%以上が品種改良された品種です。
99.9パーセント以上。
つまり、私たちがふだん食べている蕎麦は、ほぼすべてが改良された品種である。なか川が使っているのは、その残りのほうだ。
在来種は「絶滅危惧種と言っていいほど貴重」とされている。古来から日本各地で育ってきた自然のそばの実で、味が濃く、しっかりした食感になる。
さらに厄介なことがある。品種改良種の近くで栽培すると、在来種のそばの実は変化してしまう。味も食感も変わってしまう。
だから、種があっても簡単には作れない。
なか川は、自分の畑を持っている。栽培から自家製粉まで自社でやっている。東京の有名老舗やミシュラン掲載店に、そば粉を譲ることもあるという。
改良された理由については、断定しない
ひとつ、正直に書いておきたいことがある。
店員さんの説明では「食べやすいように品種改良された」という話だった。
一方、公式サイトの書き方は「栽培しやすい品種改良に頼らず」「在来種の栽培は難しいため」である。力点が、食べやすさではなく作りやすさにある。
どちらが正しいのか、私には決められない。両方の理由があるのかもしれない。
はっきりしているのは、いま主流のものは改良されたもので、なか川のはそうではない、ということだけである。
そして、私はこの前に「改良された側」を食べていた
ここで思い出したことがある。
同じ栃木の隣、茨城県古河市のレストランで、私は常陸秋そばを食べている。あのとき、こう書いた。
1978年に茨城県農業試験場が育成に着手し、3年余りかけて誕生した。1985年に県の奨励品種に採用されている。
あれは、改良の成果だった。在来種から選抜して育てた、新しい品種である。玄そばの最高峰と呼ばれることもある。
そして、なか川のは改良される前である。
私は、同じ「そば」を、時間軸の前と後で食べていたことになる。狙ってやったわけではない。並べてみて初めて気づいた。
どちらが上という話ではない。ただ、「そば」という一語の中に、こんなに距離があるとは思っていなかった。
3種類あった

蕎麦が3種類あった。
品名は覚えていない。ただ、太さが違うのは写真を見れば分かる。木の箱に入っているものと、竹のせいろに載っているもので、明らかに別物である。

いちばん太いものは、表面がざらついていて、そばの粒が見える。短く切れている。
公式サイトによると、この店には更科二八そば、十割田舎そば、二八田舎そばがある。そばの実の中心部分だけを使う色白の更科粉に二割の中力粉を加えるのが二八で、これは江戸時代から伝わる流儀だという。
どれがどれだったかは、断定しない。私が覚えているのは名前ではなく、味と歯ごたえのほうである。
天ぷらと炊き込みご飯も食べた

天ぷらが付いた。炊き込みご飯も付いた。
どちらも食べた。写真も残っている。
それなのに、感想が出てこない。
まずかったのではない。蕎麦が全部持っていってしまったのだと思う。
書が掛かっていたことも、覚えていなかった

店内の写真を見返して、驚いたことがある。
壁に、相田みつをの書が掛かっている。
調べたら、この店は相田みつをゆかりの店だった。約50年の交流があり、旅館だった頃に相田みつをが使っていた八畳の部屋を、いまはそば打ち部屋にしているという。三代目が旅館からそば屋へ新装したとき、相田みつをから「水」という書を贈られたそうだ。
そんな店にいて、私はそれを覚えていなかった。
古時計も、座敷も、写真には写っている。でも記憶には蕎麦しか残っていない。
これはこの店の失点ではない。むしろ逆だと思う。
日本老舗蕎麦100選

卓の上に、こういう案内が立っていた。
めん割烹 なか川は 日本老舗蕎麦100選に選ばれています。
めん割烹 なか川は有名そば老舗店の会「新そば会」に掲載されています。
調べてみると、全国新そば会という組織だった。
老舗御三家の「やぶ」「砂場」「更科」をトップに、日本の老舗そば屋自身が選ぶ銘店およそ100店が集まる、日本で唯一のそば店の全国組織である。なか川は2013年に招かれて加入している。
そば屋が、そば屋を選んでいる。この選ばれ方は、他の「100選」とは意味が違うと思う。
足利は、そばの街だった

もうひとつ、調べて知ったことがある。
足利は古くから「そばの街」と呼ばれている。渡良瀬山系の豊かな伏流水に恵まれた土地だからである。
なか川は、旅館を創業した当時から18メートルの井戸を使っている。都市開発で近隣の井戸が枯れていく中でも、この井戸は枯れていないという。
佐野は水がきれいだから澄んだスープになる、と私は別の記事に書いた。足利も水の街だった。
蕎麦もラーメンも、結局は水の話に戻っていく。
ここに酒はある。でも飲んでいない
この店には、日本酒専用の冷蔵庫に約100種が揃っている。四代目が蔵元を直接訪ねて仕入れているそうだ。江戸時代、旨い日本酒は蕎麦屋で飲むものだった——という話まで公式サイトに書いてある。
それでも私は飲まなかった。
呑み歩き研究所と名乗りながら、また酒を飲んでいない記事になった。ただ、この日に関しては理由がはっきりしている。
蕎麦だけを食べに来ていた。
研究員の結論
また行くか:必ず行く。
なかなか縁のある場所ではない。足利は私の生活圏ではないし、次にいつ行けるかも分からない。それでも必ず行く。
そして、人から「蕎麦はどこがいい?」と聞かれたら、私は必ずなか川を答えている。
この店で私が持ち帰ったのは、「食べやすさ」は品種改良の結果であるという事実だった。
つるつると喉を通る蕎麦を、私は蕎麦の基本形だと思っていた。違った。あれは99.9%側の話で、そうでない蕎麦が、まだ0.1%未満のところに残っている。
噛まないと味が出ない。切れる。短い。扱いにくい。
でも、食べ終わったあとに残るのは、そちらのほうだった。天ぷらも、炊き込みご飯も、壁の書も持っていかれるくらいに。
向いているのは、蕎麦を食べに行く人。ついでに寄る店ではないと思う。
みんなに食べてみてほしい。
店舗情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 店名 | めん割烹 なか川 |
| 所在地 | 栃木県足利市(JR両毛線 足利駅から徒歩7分/東武伊勢崎線 足利市駅から徒歩11分) |
| 蕎麦 | 在来種。自店の畑で栽培し、自家製粉。添加物を使わず昔ながらの製法 |
| 種類 | 更科二八そば/十割田舎そば/二八田舎そば |
| 頼んだもの | 蕎麦3種/天ぷら/炊き込みご飯(酒は飲んでいません) |
| 訪問日 | 2023年9月4日(月)13:51〜14:18ごろ(約27分) |
| その他 | 全国新そば会加入(2013年)/相田みつをゆかりの店 |
※価格は掲載していません。筆者が控えておらず、記憶で書くと不正確になるためです。
※営業時間・定休日はこの記事では記載しません。公表値は変わることがあるので、行く前にご確認ください。
※蕎麦の品名は特定していません。筆者が控えておらず、写真からも確定できないためです。
※在来種および店の由来に関する記述は、店の公式サイトと卓上の案内、および足利市の観光情報によります。品種改良の理由については、店員さんから聞いた説明と公式サイトの記述に力点の違いがあったため、本文中に両方を記載しました。
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※記事中の飲食物・店内の様子はいずれも筆者が実際に訪問して見聞きしたものです。訪問は2023年9月で、本記事の公開時点から2年半ほど前にあたります。飲食代はすべて筆者が自分で支払っています。